たぶんぶろぐ

とある大学生の備忘録。

 

昨日の続きです・・・。というかYouTubeの方で本家のミュージカルを見つけてしまったので見ようと思い、その前に一回整理しとこう的なアレです笑

 

重要な登場人物は結構少ない、と思います。

エリザベート(皇后)

・フランツ・ヨーゼフ(皇帝)

・トート(死という存在)

基本的にはこの3人の三角関係・・・だと。

黄泉の国の帝王であるトート、現実世界でオーストリア皇帝だったフランツ・ヨーゼフがエリザベートに恋し、エリザベートは自由を求め、現実世界で生きるかの機微を描いた作品であるという理解です。

 

ちょっと元のツイートを遡り切れなかったのですが、私が見たツイートは、このエリザベートとフランツ・ヨーゼフの子であるルドルフという皇太子に関するものでした。

若いころに死にかけたエリザベートがトートを「死」として認識できるのは、本来は黄泉の国でトートと会ったことの記憶は失われるという説明があったので、「うっすら記憶の片隅にあった命を助けてくれた人」が後々「死」であった・・・という認識なんでしょうたぶん。

 

では劇中で幼いルドルフが何故トートと友達関係になれたのか。劇中では、エリザベート以外「死」の存在を本人が死ぬまで認識できていません。(物語自体がルキーニの回想から始まるので彼は除く)なので、ルドルフだけ何故?となるわけです。

私自身はあんまり気にしてなかったのですが、というかあまり本編とは関係ないとすら思っていたので考えもしなかったですが、私がみたツイートに「ルドルフがトートと友達関係になれたのは、ハプスブルク家が近親婚をする家系だったため、血が濃くなっていて幼いころに既に死が近い存在だったのでは?」みたいなもので、一考させられました。その辺のヨーロッパ史には興味があったので、繙いてみたいなと思ってしまい、これはもう本家(ウィーン版)のやつを見返すしかないな・・・と。何なら気になってGoogle先生でネットサーフィンをし、ルドルフがメインの『うたかたの恋』という別作品があることまで知ってしまい、なんというかその時代の国際政治史・思想やらを含めた上で考え直してみたいなと思っています。どう見ても沼が深そう。

ではまた。